シルクのまち 岡谷
と言っても昔の話ではありますが・・・
富岡製糸工場が世界遺産に登録されました。おめでとうございます。
来月8月1日に岡谷市の蚕糸博物館がリニューアルオープンするということで、オープン前に見させて
頂く機会がありましたので、少し岡谷市も宣伝?させて頂ければと思います。
製糸業は昔から福島・群馬・長野が主な生産地だったようです。
ちょうど主な消費地であった欧米(特にフランス?)で生糸の生産が病気で落ち込んでいたこともあり
、フランスからは機械の売り込み、日本政府としては輸出の拡大と利害関係が一致?
大型の機械を導入することになりました。(フランス式を300基)日本政府は輸出拡大の為、積極的
に進める事になります。(フランスからの技術者には当時日本の大臣並みの給与を与えたとか)
ここで技術を習得した工女や技術者がそれぞれの地域に戻って製糸事業を始めていくわけです。
(これも政府としては目的にあった。)
富岡製糸工場は国営の為設備投資等お金をかけすぎた事もあり、民営工場に徐々に押されていくわ
けです。(1反あたりのコストが民営に比べると非常に高い。)
長野県ではフランス式(ほとんど金属製)を研究してコストの安い諏訪式機械を開発します。
釜は陶器を使いほとんどが木製。
蒸気を取り入れる部分だけはバルブをつかった金属。
このバルブ部分が大量生産された為、諏訪には北沢バルブ、東洋バルブ等のメーカーが成長したわ
けですね。
フランス式導入から10年ぐらいで、製糸産業の中心は長野県へと徐々に移っていくわけです。
長野県では平野村(現岡谷市)が中心となり、最盛期では全国生産高の上位5社中4社(片倉組、山
十組、中山社他)は平野村にあり人口は72,000人。内工女は34,000人に上ったとか。
(村から市になったのは全国でも4市ぐらい。もっとも今は5万人をきりそうですが 涙)
最盛記には煙突が200本ぐらいあったとも言われています。
200社近くあったと言うことでしょうか?
大勢の工女がいた名残として有名なのは諏訪の片倉館の1000人風呂ですね。
(たぶん1000人は入れなかったと思いますが・・・)
製糸の歴史を知るには、富岡製糸工場だけでは片手落ちということで、ぜひシルクファクト(岡谷蚕糸
博物館)へもお越し下さい。
ファクトのネーミングは岡谷市で唯一生産している「宮坂製糸所」の工場をそのまま博物館の中に入
れちゃったからです。
上記の富岡製糸工場に導入されたフランス式機械(150番151番?)の二基が展示されています。
木製の諏訪式も展示されています。
両機ともここにしかありません。
昔の機械をそのまま使用している現場も見られますので、初期から現在までの機械の移り変わりを
見る事も出来ます。
大きな機械のメーカーにはプリンス工業、日産の名前もあって製糸の機械を作っているとは知りませ
んでした。
岡谷でうなぎを食べて岡谷の街を知って頂きたいです。
もっと詳しく知ろう。(リンク)
問題。
これはミステリーサークルか?
ヒント(経済産業省の近代化産業遺産のひとつ)